パンフレット等

 

●「心で描く」個展パンフレット2015年 テキスト:岡田三朗(宮本順三記念館 豆玩舎ZUNZO 理事長・オルファ株式会社相談役)

 

 磯、潮が引くと、ところどころに潮だまりができる。

 少年の頃、毎日のように遊んだ潮だまりが忘れられず、度たび足を運んでいる。

 足を浸けて、エビ、カニ、ヤドカリ、ウニ、幼魚、貝などと遊んでいると、時間のたつのも忘れてしまう。気がつくと潮がみちていたりして。

 この情景を画で表わせたらどんなにたのしいだろう。波に揺れる海藻、生き物のくらし、快よい潮風、冷たい潮の感触。

 コンパスや定規を使っての製図ばかりやってきた私にとって、抽象画は別世界、頭を切りかえてできるだろうか。

 

●「樋口愛個展 "like a Baby!"」紹介文2014年 テキスト:太原有紀子(翻訳家)

 

 副題の「like a Baby!」について 樋口愛さんのコメントです。
「 失敗を恐れず、 他人の目や世間の価値観も気にすることなく自分の興味の赴くままに無心になってつき進む赤ちゃんのように、 そんな心を大切にして絵を描き続けたい。 大人になると 自分で自分を苦しくしているようなところがあるから、赤ちゃんを見習って心を解放していきたい。」


 幼い頃見た風景を大人になってから見たときにまるで別の風景のように思えるということはあると思います。それは成長の証にちがいないのですが時にはその成長のせいで本来の輝きが見えなくなっていたり面白いと気づく前に通り過ぎてしまったりします。価値観や固定観念のフィルターをかけずに 物を見るというのは意外と難しいことのようです。

 先入観を捨ててみると何かいいことありますか・・・?
 何の役に立つのかなんてあまり考えずに何かに夢中になれる感覚を取り戻せば責任やらプレッシャーやらで思いのままには動けなくなってしまった大人の心が再び自由に動き出せるような気がします。そんなとき樋口さんの作品は心のフィルターを取り除くために目から飲む「薬」になります。赤ちゃんの目と大人の心で感じるままに写し取った世界をじっと見ていると暗号を解読してみたくなったり空飛ぶ謎の人物?につられて空を飛びたくなったり「こっちの世界へおいでよぉー」なんていう声が聞こえてきたりします。「がんばってる感」のない脱力系浮遊感が漂う世界を目から飲んでみるだけで心の凝りがほぐれていきます。近頃、心が凝っちゃって・・・というすべての大人にお勧めしたいところですが薬には副作用がつきもので効き過ぎて戻れなくなっても責任は負えません。あしからず。

 

●「こころの絆 - 樋口 愛」個展DM2012年 テキスト:加藤義夫(インディペンデントキュレーター)

 

 世界と距離をはかりながら生み出される独自の物語。その世界観から紡ぎ出される、不思議な絵画の数々。最近の樋口愛の絵画は、自己をみつめ直すことにより、自身をより深く知ることで自己解放につながり、より自由でリアリティのある表現を獲得してきた感がある。

 5~6年前に彼女の作品に出合った時の作風とはかなり変化し、飛躍的に絵画としての説得力を増してきたようだ。それは彼女の自己分析能力が高まったことで、潜在的な力を導き出し、本人が感じるリアリティのある表現へと移行したともいえる。

 樋口愛の世界観は独特。例えば、地下茎にある球根から地上に芽吹く人間らしき人たちの「絆」というネットワークが、重要な意味を持つ。子どもの空間と大人の空間をつなぐ「こころの絆」による理想郷願望。

 それは、東日本大震災をきっかけに始まった福島県と東大阪市との児童絵画交流展や和久洋三氏の創造教育、画家でグリコのおもちゃデザイナーの宮本順三氏の活動に触発され、ここから多くのことを学び感じ取ったようだ。

 このユートピア願望は、5年前に筆者が書いた、画家ポール・ゴーギャンの楽園願望との共通項を見いだせる。という意味では、現在も基本的なテーマに変化はなく描き続けている。画風は変われども根底に流れている基本的な作家の思いは不変である。

 「こころの絆」を基本として世界は、不穏な状況下が続く現在の日本では、最も重要な課題といっても過言ではない。視覚言語としての絵画を媒体にした樋口愛の「こころの絆」というメッセージは、人々のこころにどこまで深く届き響くかが楽しみである。


●「樋口愛さんのこと カロンの部屋からの回想」個展パンフレット2011年 テキスト:澤玄昭(ギャラリー風・代表)

  

 新人発掘塾“カロン()の部屋”には10人足らずの参加者がいる。5年を当面の区切りとし、プロの作家になるために必要な力をつけることを主眼にしている。

 

 樋口さんは、脱落することなくこの5年を最初に迎えた修了生だ。特筆すべきことは、彼女が美大出身者ではなく関西学院大学で法学を先行していたことだ。さらに、趣味のはずの絵画が、何を勘違いしたのか、OLを辞めさせ「どうしても画家になる!」と不退転の覚悟をもって応募してきたことだ。彼女のあまりの気迫に押され受け入れることになったが、振り返れば、彼女の人生を左右する最大の分岐点に立たせてしまった。

 

 予想をしていたが、樋口さんの戦いはイバラの道を歩くよりきついものとなった。週に一度23時間程(午前中)話を聞くことから始まった。時折、私に仕事のない日には、終日質疑に明け暮れた。作品を前にすると必ず、融通のきかない真面目さと、納得がいかないと歩もうとしない誠実さが私を悩ませた。しかし、この性格が幸いする。与えられた課題は限界まで努力し、必要とされる知識は貪欲に吸収する。関連する事柄は年次を追って重層化するが、歯をくいしばって耐える。そんな中、たまに感じる恨みの視線は、私が鬼か悪魔に見えたのだろうか?3年が過ぎ…さらに半年。そこには当初とは別人の樋口さんがいた。ようやく自分の言葉で自分の世界を語るリアリティが身に付き、それに伴って触角を通して得られるイメージが発行を始める。意識は、新たに得た言葉を携えてもう一歩を踏み込む。

 

 画家・樋口愛の羽化が始まった。

 

 5年の歳月は長いようで短い。自分自身をコントロールする力が身につかなければ、結局すべてを中途半端にする。樋口さんの日常に対する冷静かつ聡明さは、現状の問題点を抽出し分析する。同時に、観察した世界と内面に広がる世界を呼応させ、あたりまえの日常生活に置き換えていく。ここをイメージする現実感覚が時間の流れを吸い込み、球根観察から始まった絵画は折々の変化を飲み続け、今、愛する郷里御厨の郷土史にある民話の世界にたどり着く。その間に遭遇したものは何ひとつ失うことなく、すべてを共生共存させてしまうシャーマニックな樋口愛ワールドが生まれてきた。彼女は言う。「土は死の堆積だと思いませんか?!だから私は球根を大地の記憶として捉えたいのです。その芽生えは、単なる再生ではなく、未知を予感させています。」と、いつのまにか壮大な時間と空間の中に大きな円を描いていた。そうして描くことの本当の喜びが自分自身の強さにつながると感じ始めていた。そこでこの個展を通過儀礼として樋口愛さんの新たな心の旅立ちを祝福したい。


●「触る筆」個展DM2009年 テキスト:高木正臣(現代絵師団主宰・美術家)

 

樋口は5年ほど前に、私の主宰する画塾に入所してきた。印象は少し疲れているように感じられたが、自身の意とする方向とは異なる仕事に就き、限界を感じていたのだろう。習い始めて一度目の転機は、ピカソ展に行った時だ。水を得た魚のごとく、絵画に対する意識が一変し、その後も短期間で何度も駆り立てられるように、大きく転機を経験していったと思う。そして早、ギャラリー風での3度目の個展になった。

樋口がモチーフとする「球根」を見せに持ってきたことがある。まさにそれは「宝箱」に大事そうに納められていて、対象への愛おしさが強く率直に伝わって来た。彼女の筆運びを見たとき、その柔らかく、しかも執拗に探究し続ける筆先に、描き手の内実を見たように思えたことがあった。脳(心)と身体の結びつきがそうさせているのだろう。絵画は筆で描くんじゃなくて、まず心が描き出した像を筆で触りながら、確実な身体感覚によって知覚し、顕在化していく行為だなと考える。つまり筆によって心の実在に触っていくことが可能になるのだと思えている。

 「球根」の実態に秘められた、自身の「心の宝」にどうしても触りたくて触りたくて、樋口愛は、その実現を渇仰しながら今日も苦闘することを止めようとはしない。

 

●「かぐわしき大地」個展DM2007年 テキスト:加藤義夫(インディペンデントキュレーター)

 

樋口愛の絵画には、突然仕事をやめてタヒチに旅立った、19世紀の画家ポール・ゴーギャンを彷彿させるところがある。彼女の作品「つちたま さらばこれにて」は、そのオレンジ色の色彩にゴーギャン的な光が感じられる。その光は、ゴーギャンが抱いた南の自然への憧れと同様のものであろうか。今彼女は、自然や大地に大きなエネルギーを感じ、息づく生命の絵画を表現しようと模索しているところだ。

 ゴーギャンが経験した18世紀から19世紀に起こった産業革命と、今日彼女が体感している、20世紀後半から21世紀に現れた情報革命(IT革命)は、これまで人類の生命と生活に多大な影響を与えてきた。後年、前者は地球環境破壊を招き、後者は工業社会から、情報社会へ移行することでおこる、大きな社会変化を予兆するものだった。

 未だ人類が経験したことのない、この大きなうねりの流れを、彼女は日頃からヒリヒリと肌で感じているようだ。その本能的な潜在意識下に、この大きな変化を吸収し受け止めてくれるものこそが「かぐわしき大地」という名の自然であると感じているのであろう。

 

寄稿


●「小さいことはいいことだ グリコおもちゃデザイナー物語」編著者:樋口須賀子(宮本順三記念館・豆玩舎ZUNZO副館長)

宮本順三記念館 豆玩舎ZUNZOのゆめ「世界中が豊かに」